前田さんは隼人町松永の出身。
昭和39年に高校を卒業してすぐに東京の建設会社に就職。
霧島市(旧国分市)出身の奥様と結婚してからは神奈川に居を構えて定年まで勤め上げ、退職を期に地元へ。職場での実直な仕事ぶりが評価されており、定年後も会社に残るよう引き止められたそうだが、それを断って故郷で暮らすことを選んだ。
「そろそろ開放されたいという気持ちもありました」と笑う前田さん。
終盤に担当していた改築の仕事はクライアントの業務上、決して工事のミスや延期が許されないこともあり、毎日のプレッシャーは相当なものだったとか。
休日もままならず、身を粉にして働く、という表現がピッタリとくるほど。そんなご主人を間近で支えた奥様も、結婚当初から「リタイヤしたら故郷に帰りたい」という言葉に賛成していた。
平成17年3月の退職に備え、その1年半ほど前から鹿児島での土地探しを開始。
地元には兄弟も住んでおり、幼馴染みや友人も多い。
「何より質の良い温泉がありますしね」。
さらに空港も近く、自然が身近にあることも決め手の理由に。そんなときにお兄さんから紹介されたのが出身地に造成された温泉付き分譲地だった。
少しだけ高台になっていて、陽当たりも良く静かな環境。裏手にある山は、前田さんが子供の頃に仲間と遊んだ思い出も残っている。
退職すると神奈川の家は息子さん夫婦に譲り、奥様の実家で過ごしながら家づくりを始めた。木造にこだわり、しかも木材はほとんどが自分の山で育てたもの。40数年前に前田さんが将来のために植えた杉なのだそう。
構造材や仕上げ材はもとより、ダイニングテーブルや囲炉裏にもふんだんに用いられている。
夫婦二人暮らしの住まいということで、平屋建てで間取りもシンプル。ただ、温もり溢れる木の設えと、つい長居したくなる囲炉裏部屋の居心地の良さは特筆したい。
ゲストが訪れると必ず囲炉裏の部屋に通し、ま港も近く、自然が身近にあることも決め手の理由に。
そんなときにお兄さんから紹介されたのが出身地に造成された温泉付き分譲地だった。
少しだけ高台になっていて、陽当たりも良く静かな環境。
裏手にある山は、前田さんが子供の頃に仲間と遊んだ思い出も残っている。
退職すると神奈川の家は息子さん夫婦に譲り、奥様の実家で過ごしながら家づくりを始めた。
構造材や仕上げ材はもとより、ダイニングテーブルや囲炉裏にもふんだんに用いられている。
夫婦二人暮らしの住まいということで、平屋建てで間取りもずは一息。
親族や友人との宴に使ったり、東京での仕事仲間が遊びにくれば鹿児島観光の拠点にもなったり。
しかも浴室は温泉。
旅館に滞在している気分にもなりそうだ。
主寝室の窓からは朝日も眺められ、「山の周りを染めながら昇る様は毎日のように見ていても飽きません」と奥様。
ここへ移住してから約3年。
二人の日課はもっぱら畑での農作業。
自宅の前にも土地を購入し、自家農園として整えている。
神奈川に居る頃は小さな家庭菜定年退職を期に地元へUターン。
温泉付き分譲地に新居を構え、夫婦水入らずの暮らしを満喫中。
ともに畑仕事を楽しみの一つとして、晴耕雨読の日々を過ごしている。