松さんが大阪から霧島(旧牧園町高千穂)に移り住んだのは平成5年。
移住者の中では比較的古い方といえる。
3人のお子さんのうち、一番上の長男が小学生になるのを期に、霧島への移住を決意した。
「大阪にいる時から、よく子どもたちをキャンプに連れて行ったりしていました。自然の中で子どもを育てたいという思いがありました。」
お2人とも、出身は鹿児島県内。
大阪に就職する前、高専生のころから、霧島方面へはしばしばドライブに訪れて、その自然環境が気に入っていたため、真っ先に霧島が候補に上がったのだそう。
移り住んだ分譲地は眺めの良い広い敷地で、周りには自然が残り、山はすぐそば。
キャンプに行く必要もなくなった。
自宅にいながらにして温泉も楽しめる。
修次さんは、もとは競艇選手。
実力のみが物を言う勝負の世界に21年間身を置いた。
霧島に移住後も、各地で1週間ほどレースを戦った後、自宅へ戻ってきて1 週間から10日の休暇を取るという生活を10年近く続けた。
肉体的にも精神的にも消耗を強いられる選手生活の中で、霧島へ戻って温泉に浸かり、家族と共に自然の中で過ごす生活は、この上ない癒しになったという。
奥さまをはじめ家族も、地域へはすっかり溶け込み、それぞれに充実した日々を送っていた。
いつかは選手生活に終止符を打って、自営業をしていたいと考えていた時、現在の「きのこの里」の経営者募集に出会った。
経営計画を練り上げて提出し、数十組の応募者の中から選ばれた。
「まだ体力のある40代が、新しいことに挑戦する決断のし時だと思って。
減量の必要な選手時代から低カロリーの蕎麦が大好きで、趣味で蕎麦打ちもしていました。」
いきなり大きな店舗、併設の喫茶店、立ち寄り温泉を任された永松さん夫妻。
平成14年7月の開店から半年以上は店に泊まり込みで働いた。
無理がたたって手の痛みで入院を余儀なくされたこともあり、現在は平日は昼のみ、土日のみ夕方も営業するというスタイルに落ち着いた。
広い敷地、食事、喫茶、温泉と多岐にわたる業務で「思っていたより忙しい。」という現状だが、「お客様から『美味しかったです。』といっていただけるのが一番嬉しい。」と奥さまの富貴子さん。
「蕎麦は3たてといって、挽きたて、打ちたて、湯がきたてが美味しい蕎麦の条件。
うちはすべて石臼挽きの粉を使って、打ちたて、湯がきたてを提供しています。」と修次さん。
化学調味料は一切使わず、味を追求してきた。
そのため最近は名も知られ、遠方から食べにやって来るファンも多い。
また、立ち寄り温泉は入浴料が200円。
もともと200年もの歴史のある日の出温泉。
昔からの地元のお客さんのために、1回約150円になる回数券も発行するなど、低価格でがんばっている。
「ここは、田舎の割に便利な所。山あり温泉あり、きれいな清流があり、星空も抜群にきれいです。春夏秋冬飽きることがありません。それでいて、日常生活に困らない。大きな病院もありますしね。」
ゆくゆくは、もっと奥まった場所にこじんまりとしたそば屋を開きたいという修次さん。
霧島の大自然に抱かれ、ゆったりと日常を営む。
そんな理想の生活を求める夢はつきない。